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明治7 |
1874 |
鈴木岩治郎、弁天浜に洋糖引取商「辰巳屋」(商標は「カネ辰」)を暖簾分け開業(鈴木商店の創業)
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明治10 |
1877 |
西田よね、鈴木岩治郎に嫁す
二代目岩治郎誕生
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明治17 |
1884 |
鈴木岩蔵誕生
店主岩治郎 貿易会所(神戸)副頭取に就任、以降実質頭取として活躍
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明治18 |
1885 |
柳田富士松入店す
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明治19 |
1886 |
神戸有力八大貿易商の一つに発展
金子直吉、20歳にて鈴木商店に入店
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明治27 |
1894 |
先代岩治郎病没(享年52歳)
よね未亡人を助け、金子直吉と柳田富士松が経営にあたる
西川文蔵入店
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日清戦争勃発 |
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明治28 |
1895 |
「小松組」を組織して台湾使節団を派遣(鈴木商店の台湾進出第一歩)
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下関条約 (台湾が日本領に) |
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明治30 |
1897 |
資本金10万円となる
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明治33 |
1900 |
台湾の樟脳販売権を台湾貿易会社と共に許可せらる(後藤新平との出会い)
神戸・樟脳製造所(後の日本精化)設立(神戸市旭通り)
日本教育保険(明治29年設立)を日本教育生命保険(後の大正生命)に改称し系列化する
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明治34 |
1901 |
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官営製鉄所(後の八幡製鉄所)操業開始
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明治35 |
1902 |
10月1日、合名会社に改組(代表社員・鈴木よね、社員・金子直吉、柳田富士松、栄町通4丁目45、資本金50万円)
鈴木商店最初の本格的工場・薄荷製造所(後の鈴木薄荷)設立
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明治36 |
1903 |
北九州大里地区への進出、大里製糖所(後の関門製糖)設立
小林製鋼所(後の神戸製鋼所)に投資
住友樟脳製造所を買収し、直営樟脳製造所(後の日本精化)とする(神戸市葺合町)
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明治37 |
1904 |
3月31日本社移転登記(栄町通4丁目→栄町通3丁目7)
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日露戦争勃発 |
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明治38 |
1905 |
小林製鋼所を買収し、神戸製鋼所と改称
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明治39 |
1906 |
東亜製粉(後の日本製粉)買収
東京毛織(後の三菱レイヨン)設立
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明治40 |
1907 |
大里製糖所を大日本製糖(後の大日本明治製糖)へ売却
東レザー(後の帝人、ニチリン、東洋ファイバー)設立
東洋製糖(後の大日本明治製糖)、塩水港製糖(後の三井製糖)に出資
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日韓条約&日露協約 |
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明治41 |
1908 |
西川文蔵本店支配人に就任
日本セルロイド人造絹糸(後のダイセル)共同出資設立
東洋塩業(後の日塩)買収
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明治42 |
1909 |
高畑誠一、永井幸太郎、依岡省輔入社
日本商業(後の日商、日商岩井、双日)設立
札幌製粉(後の日本製粉)買収
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日糖事件 |
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明治43 |
1910 |
北港製糖(後の大日本明治製糖)設立
東洋塩業を台湾塩業に改称
帝国帆船海上保険(明治41年設立)を東洋海上保険(後の東京海上ホールディングス)に改称し系列化
日沙商会設立
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明治44 |
1911 |
神戸製鋼所を分離独立
日沙商会・依岡省三死す
大里製粉所(後の日本製粉)設立
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明治45 (大正元) |
1912 |
高畑誠一ロンドン支店に赴任
関東洲普蘭店塩田開設。斗六製糖(後の東洋精糖を経て大日本明治製糖)設立
帝国麦酒(後のサッポロビール)設立
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明治天皇崩御 |
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大正2 |
1913 |
大正生命保険(後のプルデンシャル ジブラルタル ファイナンシャル生命保険)設立
東亜煙草買収
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大正3 |
1914 |
金子直吉一斉買い出動指示(BUY ANY STEEL, ANY QUANTITY, AT ANY PRICE)
大里酒精製造所(現ニッカウヰスキー門司工場)設立
大日本塩業(後の日塩)買収
日本輪業(後のニチリン)、東レザーより分離独立
東洋製糖買収
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第一次世界大戦勃発 |
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大正4 |
1915 |
南洋製糖、帝国炭業、宜蘭殖産を設立
東レザーを東工業に改称
満鉄より大連油房(後の豊年製油を経てJ-オイルミルズ)を譲り受く
ロンドン支店・高畑、小林、小川3氏に宛て「天下三分の宣誓書」を発す
鈴木よね緑綬褒章を受ける
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大正5 |
1916 |
本店移転(栄町通3丁目7 → 東川崎町1丁目、旧みかどホテル)
播磨造船所(後のIHI)設立
鳥羽造船所を買収
帝国汽船設立
日本金属(後の彦島製錬)、沖見初炭鉱(後の大倉鉱業)設立
六十五銀行(後の三井住友銀行)に出資
帝国染料・日本火薬製造(後の日本化薬)を設立(共同出資)
佐賀紡績(後のダイワボウ)に出資
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大正6 |
1917 |
売上高15億4,000万円を達成し、三井物産の10億9,500万円を大きく凌ぐ(日本一の総合商社に)
浪華倉庫設立(後の澁澤倉庫)
大阪浪華造船所買収
鳥羽造船所に電機試作工場を開設(後のシンフォニアテクノロジー)
東洋燐寸(後の兼松日産農林を経て兼松サステック)設立
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大正7 |
1918 |
米騒動により本店焼き打ちさる
金子直吉、米国大使モリスとの日米船鉄交換契約成立の労に対し、正六位に叙せられる
東工業より分離独立し帝国人造絹糸(後の帝人)設立
帝国石油(後の旭石油、昭和シェル石油)買収
日本冶金(後の東邦金属)設立
鈴木商店直営樟脳工場が日本樟脳(後の日本精化)に合流
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第一次世界大戦終結 日米船鉄交換契約 米騒動起る |
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大正8 |
1919 |
太陽曹達(後の太陽鉱工)を創立
国際汽船(後の商船三井)に共同出資
信越電力(後の東京電力)に出資
日本セルロイド人造絹糸、大日本セルロイド(後のダイセル)に合流
再製樟脳(後の日本香料薬品、日本テルペン化学)設立
三国紡績(後のシキボウ)設立
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大正9 |
1920 |
資本金を5,000万円に増資
代表社員・鈴木よね、社員・岩治郎(二代目)、岩蔵、金子、柳田。本店支配人西川文蔵死去(享年46歳)
新日本火災海上(後の三井住友海上火災保険)設立
支那樟脳設立
大里製粉所・札幌製粉が日本製粉と合併
鈴木よね紺綬褒章を受ける
年末に本社移転(東川崎町1丁目→海岸通10番)
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大正10 |
1921 |
国際汽船、川崎汽船、川崎造船所3社によりKライン発足
東海製油所を設立
米星煙草(後の双日ジーエムシー)設立
大田川水力電気に出資
スタンダード油脂(後の日油)設立
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大正11 |
1922 |
豊年製油(後のJ-オイルミルズ)を創立
クロード式窒素工業(後の下関三井化学)設立
帝国樟脳(後の太陽林産)設立
東京無線電機(後の帝国通信工業、三桂製作所)設立
大陸木材(後の王子木材緑化)設立
帝国石油が旭石油(後の昭和シェル石油)へ合流
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ワシントン軍縮会議 |
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大正12 |
1923 |
組織変更:(合)鈴木商店を鈴木合名会社に改め、貿易部門を分離し、(株)鈴木商店を創設
合同油脂グリセリン(スタンダード油脂が日本グリセリン工業と合併、後の日油)設立
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関東大震災 |
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大正13 |
1924 |
永井幸太郎(本店支配人)、日本商業の専務に転出
豊年製油を杉山金太郎等の経営に渡す
山陽電気軌道(後のサンデン交通)設立
天満織物(後のシキボウ)が三国紡績と合併
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若槻内閣成立 |
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大正14 |
1925 |
日本エヤーブレーキ(後のナブテスコ)設立
長府土地(後のサンデン交通)設立
東亜製粉、日本製粉に合流
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普通選挙法制定 |
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大正15 |
1926 |
第一窒素工業(後の下関三井化学)設立
先代岩治郎33回忌法要
鈴木よね仏レジオン・ド・ヌール勲章を受ける
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大正天皇崩御 |
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昭和2 |
1927 |
台湾銀行、鈴木商店との取引断絶(3/28)
鈴木商店破綻(営業停止4/2)
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台湾銀行営業停止(4/18) |
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昭和3 |
1928 |
高畑誠一、永井幸太郎ら鈴木商店社員が日商(後の日商岩井、双日)設立
金子直吉は太陽曹達にて再起を図る
柳田富士松死去(享年60歳)
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昭和4 |
1929 |
帝国麦酒を桜麦酒(後のサッポロビール)に改称
5月1日本社移転登記(海岸通10番→栄町通3丁目)
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昭和6 |
1931 |
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満州事変 |
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昭和7 |
1932 |
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満州国建国 上海事変 |
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昭和8 |
1933 |
債務弁済し、整理会社解散
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昭和9 |
1934 |
富士写真フイルムを設立(大日本セルロイドより分離)
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帝人事件 |
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昭和11 |
1936 |
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軍縮会議脱退 |
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昭和12 |
1937 |
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日支事変 日独伊防共協定成立 |
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昭和13 |
1938 |
鈴木よね死去(享年85歳)
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昭和14 |
1939 |
日本発条設立(日商、井上商店らが出資
旧鈴木商店鉄材部の親睦会がきっかけ)
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昭和16 |
1941 |
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真珠湾攻撃 |
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昭和19 |
1944 |
金子直吉死去(享年77歳)
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