栄町通4丁目時代の二階建ての本店。1階店奥によねが住み、2階には直吉ら20人ほどが住み込みだったという(栄町通と海岸通の間の乙仲通りにあった)
台湾との縁が飛躍の背景だった(上が基隆港、下が台北と澎湖島)