新設2年目の川崎造船所のガントリークレーン(昭和37年撤去)
神戸の波止場で荷揚げ作業をする大阪商船(現・商船三井)の労働者
オリエンタルホテルの上空に飛行機が飛ぶ神戸旧居留地の海岸通
右手前(山側)が鈴木商店、隣が三十八銀行(後に神戸銀行)、道向かいは横浜正金銀行 (後に東京銀行)、大正2年(消印)の絵葉書
鈴木商店の大正2年の広告、この時点ですでにグローバル化している
横浜港の海岸通の光景、横浜の旧居留地は神戸の7倍あった
大正天皇と皇后、天皇に即位される御大典の式典は2年後に
大正天皇の誕生日を祝う東京駅前(駅の開業は翌年)の光景
高知城内に建立された山内一豊(初代土佐藩主)の初代銅像
築港計画がなり、ますます発展する神戸港と市街
大戦の勃発契機となったセルビア青年のオーストリア皇太子暗殺
第一次世界大戦の勃発 鳩の切手は終結した大正8年に発行された
緒戦での青島(ドイツが中国から租借、写真)での戦勝を祝う提灯行列
鈴木商店が登録した凱旋アーチの商標(トレードマーク)
元町通での神戸高商(神戸大学の前身)の学生の提灯行列
凱旋兵士を迎える東京駅と日比谷公園での祝賀会
東京の品川停車場に到着したドイツ人捕虜の一団
東京上野で開催された東京大正博覧会の正門ゲート
2年目を迎えた第一次世界大戦の主戦場は遠い欧州が舞台だった
京都御所で開催された大正天皇の即位の式典
東京駅の駅前に開設された祝賀のアーチ門
大阪出張所のあった松屋町筋(末吉橋界隈)の祝賀門
大阪・松屋町の日本商業会社(日商)の商標は鈴木商店と共有
金子直吉が頻繁に利用した蒸気機関車、東京駅を出発した下りの列車
大正3年9月に関門連絡船の桟橋が竣工した
戦争景気で賑わう門司港、大きな煉瓦建物はサクラビールの製造工場
サクラビールの翌5年用のカレンダー
欧州が主戦場の世界大戦は3年目を迎えた。写真は福岡県庁舎
本店の移転広告(栄町通3丁目→東川崎町1丁目)
大正5年のサクラビールのポスター
欧州企業の代替需要が日本に殺到し、船成金を筆頭にバブル成金が続出
大戦バブルで勢いを増す神戸の金融街(左は第一銀行、右は共同火災海上保険)
新本社となった旧みかどホテルと隣地に増築された本社事務所
山口県下関の日本金属はSUZUKIからSZKを商標とした
新たに加わったトレードマーク
鉄の精錬の大工場があった。赤く表示されているのが下関の彦島
福岡県の神ノ浦炭鉱の発行絵葉書には従来のカネ辰マークを使用
活況を呈するこちらは浅野財閥の浅野セメントの門司工場
大正6年の門司全景、小倉地区と並ぶ北九州工業地帯の一角を占めた
終わらない戦争は5年目に突入、貧富の格差は拡大するばかり(年賀状)
ロシア革命に介入したシベリア出兵で米価は高騰、神戸では日本軍(列右端)上陸の3日目に米騒動が起こった。
富山市水橋の漁師の妻らの米嘆願の記事が騒動の始まり
東京の日比谷公園での米騒動の光景
夜8時に湊川公園を出た群衆は、湊川神社近くの家賃集金業「兵神館」を焼き討ち。鈴木商店は深夜11時に放火され、神戸新聞社、神戸郵便局と共に全焼(写真)した
大阪で起こった米騒動に武器を持って鎮圧に乗り出す在郷軍人
米騒動関連記事は白く塗りつぶしされた(大阪朝日新聞)
京都では臨時の輸入米1万袋が配給となった(国内米は軍が先にとり、残りが米市場にて売買、植民地の港から米が積み出されると現地の米価が高騰した)
11月にようやく休戦がなり、東京の日比谷公園入口に祝門が建てられた
前年11月に休戦がなり、5年の長期に及ぶ大戦に日英同盟により参戦した日本には結果的に漁夫の利だった
大正3年8月の大戦勃発時の号外(上)と大正8年6月の大戦終結時の号外(下)
大戦終結のベルサイユ条約調印の記念絵葉書、複雑に絡み合った軍事同盟(集団防衛策)が世界大戦の原因に
皇居の桜田門前に建てられた第一次世界大戦の凱旋門
三井、三菱に比肩した頃の東京日日新聞(現・毎日新聞)の新聞広告
熊本城と長崎県・佐賀県の文字が見える福岡の凱旋門(絵葉書)
神戸製鋼所の播磨造船所のある相生の町は、鈴木商店の企業城下町として発展した
大正8年の高知市街、煙が出ているのが神戸製鋼高知工場、手前の県庁舎は翌年竣工する
東京駅前・丸の内の三菱財閥のビル街に、東京支店があった
正面は日本郵船(大正7年竣工の現・神戸郵船ビル)、手前は奥からパシフィックメイル、香港上海銀行、三井物産神戸支店(大正7年竣工の現・海岸ビル)
この年の年末に出された移転広告(東川崎町→ 旧居留地海岸通)
移転後の海岸通10番地(京橋北詰)の鈴木商店
神戸海岸通のオリエンタルホテル(左)と香港上海銀行(右)
海上から見た静岡県清水港の鈴木商店の製油所
左から台南・台北市街・台中市街の絵葉書(台湾総督府発行)
開港50周年を迎えた神戸港と神戸市街
大正10年(消印)の栄町通、右手前は3丁目の三井銀行(震災倒壊)、その向こうは2丁目の加島銀行神戸支店(辰野金吾の設計)の名建築が並んでいた
開港50年の祝賀提灯で飾りつけられた元町通
中央遠景に大阪商船神戸支店ビル(大正11年竣工、現・商船三井ビル)、 その手前は三井物産神戸支店(現・海岸ビル)がある海岸通
横浜旧居留地の中心街、翌年の関東大震災で姿を消す直前の街並み
大きく変貌を遂げた門司の大里地区
大戦バブルの崩壊と9月に起こった関東大震災で日本経済は危機的な状況となった
関東大震災で壊滅した横浜港と中心市街、神奈川県庁舎、税関も罹災した
横浜港の壊滅で一時的に活況を取り戻した神戸港
鈴木系保険会社の年賀状、社長(柳原義光)と専務は政友会の大物代議士だった
オリエンタルホテルの尖塔ごしに見る旧居留地の街なみ
ワシントン軍縮会議で造船業が苦境に。写真は廃艦中の軍艦・鞍馬
大正13年のサクラビールのポスター
大正14年(消印)の神戸の栄町通2丁目、右の建物はかつて政友会の原敬が頭取を務め、小林一三が大阪支店長だった旧北濱銀行(摂陽銀行と改称)の神戸支店の建物
関東大震災で焼失後に新たに仮議事堂が建てられた
政友会と緊密だった鈴木商店は、はからずも政争の渦中にあった
鈴木商店大阪支店の社員たち
鈴木商店はこの南北の京町筋の手前、海岸通沿いにあった。写真中央は独亜銀行、隣はチャータード銀行、先は戦後の一時期に太陽鉱工本社があったクレセントビル。(大正15年の消印)
サクラビールの正月用ポスター
大正15年の「門司新市街図」